里帰り?なにそれ?ばらもん。こんな人生送ってきたよ

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母親

ばらもん。ってどんな人生送ってきたの?
気持ち悪い人じゃないかな?

上記のお悩みを解決します。

 

本記事の内容

・ばらもん。の生き様を詳しく書いています。

 

本記事で悩みを解決できる根拠

・本記事を書いているのが、ばらもん。自身だから。

 
本記事を読んで欲しい人

・ぶろぐしる~を読んでもいいかなぁと思われている方

・ばらもん。のことを詳しく知りたい方

 

本記事のメリット

・ぶろぐしる~の記事の理解が深まります。

・ばらもん。のことが詳しく理解できます。

それでは、本題に入ります。

実家は遠方、義母は他界、頼れる人はいない

はじめての記事を書きます。ばらもん。です。少し怖い?ハンドルネームなので変えようか悩み始めました。このブログを開設した2020年1月28日現在で、4歳2ヶ月と0歳1ヶ月の2人の男児をもつ父親です。
注目!

私の実家は遠方、義母は他界しており、育児を頼れる人はいません。

そのため、私もサポートが難しいときは、市の事業の産後ケア(病院で助産師さんが赤ちゃんを預かってくれて、その間に妻は少しでも休めます)を利用しています。

 
長男が新生児のときには、助産師さんが家にわざわざ来てくださって沐浴指導をしてくれたり、育児相談にものってくださいました。
 
私が泊まりの出張のときには、手作りの豪華なお弁当まで持ってきてくださいまして、とても感謝しております。このように周りの方々のサポートのおかげもあって、今に至ります。
もちろん、こんな環境ですので、里帰りなんて当然していません。
 
長男は12月生まれなのですが、病院を退院してからは、すぐにさむーい社宅に3人で帰り、私が仕事に出ている日中は、妻は息子と2人きり。長男は、下におろすとすぐに泣き始めるのでずーっと抱っこでした。
 
仕事に行く朝に、
 
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行ってきます

と妻に言ってから、夕方に帰ってくるとソファーで息子を抱っこしてぼーっとしていました。聞いてみると、朝から夕方まで同じ姿勢でいるとのこと。

妻はほんとうに疲れ切っていました。このとき私は気づくことができませんでしたが、産後うつだったのかもしれません。

 
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ここから飛び降りたらどうなるのかな

住んでいるところは4階です。長男が2歳くらいのときに妻から聞きました。2人だけの育児でしたので、相当悩みましたし、苦労しました。私も妻も子どもは2人欲しかったですが、

これだけしんどい思いを”また”すると思うとひとりっ子でもいいと思っていました。

夫婦共働きで妻もフルタイム会社員ですので、仕事のこともありますからね。ですが、やはり諦めきれませんでした。そして幸いにも2人目にも恵まれて、現在しんどい思いを繰り返しています。
 
やはり聞いていたように2人目は精神的余裕があります(体力は余裕ない・・・)長男のときに夫婦で育児に悩んで、調べて、試して、失敗して、解決して、そしてここまでやってきました。

それら経験が、もし現在、育児で困っている方々に少しでも良いので参考になればいいと思い、このブログを始めました。

妻と一緒に育児をすることで得た知識・経験を皆さんにも発信していきたいです。よろしくお願いします。

まずは、私がどんな人物なのか自己紹介しておきます。

道後温泉の近くでおぎゃー

1987年おぎゃってから~幼稚園年中頃

私がおぎゃったのは、「道後温泉」や「坊っちゃん」が有名な愛媛県松山市です。ちょうど秋祭りの真っ只中だったらしいです(母親談)。先生達からも、
 
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産婦人科先生

はよ産め!はよ産め!
って言われたそうな。道後温泉では毎年”鉢合わせ”といってお神輿同士をぶつけ合うお祭りが有名です!これがまたかなりの熱気ですごいです、もし興味のある方はようつべで検索してみてねー。
 
そんなお祭りの最中に生まれた私はお祭りは好きか?普通です。
幼稚園の年中までは、道後温泉の近くに住んでいました。歩いていける距離にありましたが、行ったことあるのは1回くらいです。すごい浴槽が深くて立ってないと入れないのを覚えています。

年長~高校卒業まで

年長に上がることに、同じ市内ですが、引っ越しをしました。引越し先は山の上です。自転車でも下りでは車と同じくらいスピードが出ます。

かなり危ないです。数年前には交差点で自転車と車がぶつかり、自転車の大学生が死亡する痛ましい事故も発生しました。私の友だちの妹さんでした。

事故以降、その交差点には一旦停止の表示・標識が整備されました。今でもたまーに実家に帰るのですが、交差点には、いつも綺麗なお花が添えられています。

 
私も違うところで自転車で壁にぶつかって、死にかけました・・・。

親が教育熱心だった

小2から中学3年まで塾にイヤイヤ通っていました。小2で塾でしていたことで覚えているのは、カタカナの「ヲ」ってどうやって書くんだっけ~?ってひたすら悩んでいたことですかね。
 
同じ小学校から来ている子が他にいなかったのでいつも一人ぽっちでした。周りの子達は休憩時間に、集まってふざけたりしているのに私だけぽつんと座っているので、「まじめくん」って言われてたような、言われてなかったような。小学校の間は週に2,3回塾に行ってたと思う。

もちろん夏休み冬休みは夏期講習に冬期講習行きましたよ。中学に入ると新たに日曜教室というものがありまして、朝から夕方まで全教科の授業を受けたよ。

それで頭が良くなったか?なっていません。もー嫌々受けていたからか全然頭に入っていないという・・・。

いま親になって思うけど、塾も費用がバカにならないんですよね。2つ上の兄も同じくらいの期間、塾に通っていましたので結構な費用がいったと思う。私も子どもたちに同じようにするのだろうか?しないと思います。

まあ塾には通わせると思うけど、ここまではしないかな、自分がしんどかったから。まあ結局は本人のやる気次第ですよね。

ナイストゥミーチュー ヴィンセント

高校に上がってから通っていた塾は辞めました。高校からは、外国の先生とマンツーマンでお話ができるところに通いました。
なぜか?センター試験でリスニングがあったからです。ヴィンセント先生って言うんだけど、ラストサムライに出てくるトム・クルーズばりにイケおじでした。
 

回数を重ねるごとにどんどん、その魅力に惹かれていきました。教室はエレベーターで5階にあるんだけど、いつも分かれ際にはエレベーターのドアが閉まるまで手を振ってくれました。

1年くらいは通ったのですが、辞めてからは、ヴィンセントからもらった教材(CD)をひとりで聴いては泣いていました。変態です。

たまに友だちと遊ぶのを優先してサボることも合ったのですが、その時は電話で、

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アイ キャント ゴー トゥデイ ソーリー(棒)
友だちの横でこれを言うのが恥ずかしかったですね。英会話に通っててそのレベルなの?って笑われてました。ヴィンセントに一度だけ嘘をついてサボったことがあって、そのことをすごい後悔した私は、
 
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私は嘘つきです。ごめんなさい。この前休んだ理由は友だちと遊びたかったからです

って泣きそうになりながら英語で伝えました。英語でなにか返事してくれたけど、よく分かりませんでした。そもそもちゃんと伝わってたのかな。

元気かなー、ヴィンセント先生。またどこかで会えたらいいな。

まあ教育熱心な親のおかげで受験にはすべて合格したのですが、友だちが遊んでいる姿が羨ましかったのを覚えています。

●中学受験をして、

校区が違うところになったので小学校で仲が良かった友達とお別れをしました。

●高校受験をして、

「がんばっていきまっしょい」で有名な高校に進学しました。

●大学受験をして、

友だちと同じ大学に行きたいという理由で、某国立大学を受験して、合格しました。


3人で受験したうち1人の友だちが不合格となり・・・その友だちは予備校に通うことになりました。その友だちは中学校1年のときから仲の良かった友だちだったので、私もかなり落ち込みました。

無事に私とMたけさんは大学生になりました

 
中学校1年からの親友(以降Uたん)は、同じ某国立大学を受験して、不合格となりました。不合格のUたんは、同じ県内の予備校に通うことになりました。下宿先から予備校まで自転車で1時間はかかりますが、
 


差し入れを持って夜な夜な通っていました。自分でも変態だと思います。Uたんも嫌がっていたと思います。もし、このブログを読んでいたら、言います。
 
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ごめん、わざとじゃないんよ
まあ予備校の先生に見つからなくてよかった。
 
ところで、コミュ障の私は、新しく友だちを作ることが苦手です。ですが、学部の集まりに初めて参加したときに、目の前に座っていた、長身のメガネの知的な雰囲気の人が振り返り私に声をかけてくれました。
 


そこから大学の3年間(なぜ3年間なのかは後述します)行動をともにするようになったのですが、この人(以降Yなかさん)が、すごい人でした。

大学1年生 初めての学部の集まり

私に声をかけてくれた、
注目!

長身 メガネ 知的な雰囲気が漂うYなかさん。私よりも5歳年上でした。

ガイダンス終了後、Yなかさんに話を聞くと、この大学が2つめとのことでした。ある本を読んでから、人生観が変わり、通っていた大学を辞めて、再度センター試験の勉強をして、この大学に来たとのことでした。
 
Yなかさんから、大学生の必需品とも言っても良い、「麻雀」と「ウイイレ」を教えてもらいました。Yなかさんは勉強もすごいできる人で、お部屋に遊びに行くとたくさんの本が置かれていました。おもしろいお話も私によくしてくれました。

部屋にテレビはもちろんありません。ベット、テーブル、本、が置いてあるシンプルなお部屋でした。

Yなかさんは、早期卒業制度を利用して3年で大学卒業しました。なんと、この制度を利用して卒業したのは、Yなかさんが初めてでした。Yなかさんの成績表を見たことがありますが、すべて「秀」(最も良い)です。

卒業要件を満たす単位数を取るために他学部の講義も受講していました。Yなかさんに、将来なにをしたいのか、はっきりと聞いたことはありませんが、「大学教授」と言っていたような気がします。

これまたすごいのですが、Yなかさんは、卒業後に大学教授と結婚しました。(相手は私のゼミの教授です)
そんなYなかさんは、ウイイレもむちゃくちゃうまいです。ハンデをいつもくれるのですが、

徳島ヴォルティス(Yなかさん) VS バルセロナ(私)

これでも、私が負けます。なぜ、徳島ヴォルティスか?地元愛だそうです。大学生活で私がYなかさんから教えてもらったことは、
● 麻雀の楽しさ
● ウイイレの奥の深さ
です。Yなかさんと出会うことで、私の大学生活はとても豊かなものになりました。ほんとうに感謝しています。久しぶりに連絡取ってみようかな。

アルバイトしる!

○短期バイト(大学1年の頃)
短期バイト紹介に登録して、
・引っ越しの手伝い
・会場設置の手伝い
・・・etc
まあ色々しましたが、なかでも記憶に一番残っているのは、AVを手当たり次第に段ボール箱に詰めたことです。TSUTAYAさんの店舗移動のお手伝いで、私が配属されたのが「AVコーナー」でした。

真面目な私は、このコーナーに入ったのはもちろん初めてです。これでもかというくらい、両手にAVを鷲掴みして段ボールに詰めていきました。夜から明け方にかけての作業でしたが、なぜか眠くはなりませんでした。なんでだろ。

○ホテルの接客(大学2年から~卒業まで)
大学2年の頃に大学のアルバイト求人にホテルの接客を見つけて、Uたんともうひとり(Oにしくん)面接に行きました。
 
結果は、3人ともアルバイト採用OK。あ、Uたんですが、1年の予備校生活を終え、無事に大学合格しまして、晴れて?私と同じ大学生活を送ることになりました。
 
ホテルの接客のアルバイトは、
・レストランの準備、接客、片付け
・宴会の準備、接客、片付け
・夏になればビアガーデンの準備、接客、片付け

等をするのですが、とても楽しかったです。私は、長続きしない方なのですが、卒業するまで続けることができました。バイキングがあるホテルなので、バイト終わりのまかないも充実しています。オススメします。

 
学生の私にはとてもとてもありがたかったです。

君、卒業できないよ?

大学2年から始めたホテルのアルバイト。一緒に面接を受けたOにし君は、1週間後に無断欠勤を続けて、そのままフェードアウトしました。こんな斬新な辞め方もあると私は、驚きを隠せませんでした。

話は変わりまして、ホテルの社員さんに麻雀が好きな人がいて、夜な夜なメンツを揃えて明け方まで麻雀に明け暮れました。バイトが終わるのが22時頃なので、22時~6時まで(8時間)そんな感じで普通に週3、4回は麻雀していましたね。

麻雀終わって、家に帰ってから寝て、午前中の講義をサボって、夕方くらいに起きてバイトに行く。模範的な大学生ですね。
 
こんな生活を続けていたので、大学3年の前期終了頃に、学年担任から呼び出しを受けました。
 
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教授

単位が足りないから、4年生には進級できないよ。君の実家にも成績表送っておくから。
私は、 オワタ と思いました。

いざ!私の本気

単位が足りないので4年生に進級できないと言われた私。実家に成績表を送ると言われた数日後に実家から(親父)から電話がかかってきました。

📞「誓約書を書け!私は絶対大学を卒業します、と書いて送れ!捺印もしとけ!

親父は厳しい人なので、こうなることは予想できていました。ですが、この電話のおかげで私は覚醒しました。

3年生後期の授業を月~金でほぼフルコマ(1コマ~5コマ)で授業を組みました。

 
注目!

●自分の学部の講義だけでは足りない=違う学部(法学部)で民法も取りました。
 
●自分の学年の講義だけでは足りない=フレッシュ1年生の講義も取りました。
 
●それでも単位が欲しい=インターンシップをすると単位をくれるので、某有名ドリンクメーカーにインターンシップにも行きました。
 
 
この半年はむちゃくちゃ忙しかったですが、おかげで4年生に進級もできましたし、単位にも余裕が生まれました。
 
そして、大学4年生になり、就活では私はなかなか内定を頂くことができませんでしたMたけさんは、いくつか内定をもらっていました。が、納得がいかないらしく、もう1年公務員試験勉強をすることにしました。
→翌年に年収ランキング上位の市役所に内定(大学事務員の内定もらっていた。すごすぎ。)
 
私は、諦めかけていたときに、大学から紹介を受けた企業に面接に行くとトントン拍子に進み、そして現在の会社に内定を頂きました。3年目で同じ部署の女性(6歳年上姉さん)と社内結婚をしました。2人の子どもにも恵まれました。
 
いままでの道のりは、この子どもたちに出会うためのプロセスだった、と思っています。

ざっと書いてきた経歴はここまでです。私がどんな人物なのか少しでも分かって頂けたでしょうか?最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。